ライプツィヒはこれまでバッハ、メンデルスゾーンの博物館に行きましたが、シューマンもライプツィヒにゆかりのある作曲家でやはり博物館があります。ここにも行ってきました。
メンデルスゾーンの家とも少し近い、でももっと閑静な住宅街で緑の多い通りにありました。
2階の部分が博物館になっています。
シューマンとクララの新婚生活の始まりの家
シューマンは自分のピアノの師であるフリードリヒ・ヴィークの娘で、当時ピアノの名手としてヨーロッパで有名だったクララと恋に落ちます。しかし、シューマンは駆け出しの音楽家だったことから父親の大反対に遭い、裁判によってやっと結婚を許されました。大変な困難を乗り越えて幸せな結婚生活を始めたのがこの家で、暮らした4年の間に2人の子供も生まれました。
博物館の規模としてはバッハやメンデルスゾーンのような大きな造りや分かりやすい展示ではないのですが、その分暮らしの見えるような落ち着く場所でした。
入り口には1840年から1844の2人の家と刻まれたプレートが飾ってあります。
ドイツで愛されているクララ・シューマン
中は2人の肖像画やクララのよそ行きの衣装、ピアノなどが展示してあります。シューマンも妻のクララも同じくらいの分量で紹介されています。
クララはドイツのお札になるくらいの大変有名なピアニスト、作曲家なのですが、それに釣り合うようにかシューマンもここライプツィヒで精力的に活動します。結婚後は作曲家として重要な作品を完成させつつ、自身の作品を演奏会で発表して、名声を得ていきました。
メンデルスゾーンがゲヴァントハウスの常任指揮者になってからライプツィヒは音楽の中心地となり、シューマンも音楽学校の教師として迎えられるなどその発展にも貢献していましたが、それでもクララとの格差は埋められなかったようです。
しかし、クララも子育てをしながら演奏でも家計も支え、困難はありながらも2人はここで幸せに暮らしていた様子を想像します。
現在のシューマン・ハウスは学校に。
博物館の真ん中の部屋はこのようなコンサートサロンになっていました。
静かに座っているとピアノの音や子供たちの声が聞こえてきます。
この建物自体が現在は小学校とクララシューマン芸術学校となっていて、博物館のすぐ隣の部屋から教室になっていました。子供たちが廊下を歩いていたり、受付で話していたりして少しにぎやかです。
子供好きだったシューマンも喜んでいる気がします。
ライプツィヒに残るシューマンの足跡
この博物館とは関係ないのですが、シューマンの通っていたライプツィヒ大学も見学してきました。
名門のライプツィヒ大学はモダンな建物です。(ここに法学部があるかまではわかりませんでしたが。)
景観を損ねないデザインがとても素敵です。
他にも通っていたカフェなども行ってきましたので今度書いてみようと思います。
ライプツィヒは音楽好きなら行きたいところだらけ
作曲家のゆかりの地が本当に多いのですが、そこへ実際に行って確かめたいと思えば展示がしっかり管理されていて芸術の歴史を保護しているのが素晴らしいです。この他にもグラッシィ楽器博物館にも行きましたが、そこも古楽器の展示が新しくてとてもきれい。今来たのがいいタイミングなのではないかと思ってしまいました。
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